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最終更新日:2025年01月22日

日本の温泉の歴史はいつから?古代から現代につながる温泉文化 全国

日本の温泉の歴史は深く、古代から現代に至るまで、さまざまな文化と結びつきながら発展してきました。

本記事では、日本の温泉の歴史について、その起源や最古の温泉地のエピソード、時代とともに移り変わる温泉文化の流れをご紹介します。温泉の歴史を知ることで、旅先での温泉体験がこれまでと一味違ったものとなるでしょう。

日本の温泉の歴史のはじまり

日本の温泉の歴史のはじまり
温泉の起源は非常に古く、その始まりを正確に特定するのは困難ですが、日本では古代から温泉を利用してきた記録が残されています。特に奈良時代に書かれた「古事記」や「日本書紀」、さらには「風土記」といった歴史書には、すでに温泉の存在が記されており、病気や怪我を癒すための療養地として利用されていました。

たとえば、「伊予国風土記」には、聖徳太子が愛媛県にある道後温泉を訪れたというエピソードが記されています。道後温泉は神話にも登場し、少彦名神が大国主命によって温泉に浸かり回復したという逸話が伝えられており、温泉が古代日本において神聖で特別な場所であったことがうかがえます。
また日本書紀には舒明天皇、斉明天皇、天智天皇、天武天皇による温泉行幸についての記録もあります。

これらの記録からわかるように、日本の温泉の歴史は、単なる観光資源としての温泉の価値を超え、人々の生活や文化に深く根付いた重要な存在であることを教えてくれます。

日本で一番古い温泉はどこ?

日本で一番古い温泉はどこ?
日本には数多くの歴史ある温泉地がありますが、最も古い温泉がどこなのかは一概に言えません。とはいえ、いくつかの温泉地は古代の文献にも登場しており、日本三古湯と称されています。ここでは、これらの温泉地とギネス記録にもなっている世界最古の温泉宿についてご紹介します。

三千年の歴史 日本三古湯

日本三古湯と呼ばれる温泉地には、愛媛県の道後温泉、兵庫県の有馬温泉、和歌山県の白浜温泉があり、それぞれが古い歴史と独自の物語を持っています。

なかでも道後温泉は、3000年以上の歴史を有する日本最古の温泉地とされ、古くから病を癒す湯治の場として知られていました。「伊予国風土記」には、大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名神(すくなひこなのかみ)が訪れたとする神話が残り、病を患った少彦名神がこの温泉で回復したという伝承もあります。また、聖徳太子や作家・夏目漱石など、歴史的に名高い人物も道後温泉を訪れた記録が残っており、文化的にも重要な存在です。

一方、有馬温泉と白浜温泉も、古くから文献にその名が見られ、一千年以上の歴史があり、皇族や貴族、戦国武将たちが訪れる名湯として栄えてきました。

関連記事:開湯1000年超!歴史ある温泉地10選&おすすめ立ち寄り湯もご紹介【全国版】

ギネス認定 世界最古の温泉宿「慶雲館」

日本には世界最古の温泉宿としてギネスに認定された「慶雲館」があります。山梨県南巨摩郡早川町の西山温泉に位置する慶雲館は、1300年以上にわたる歴史を持つ名湯です。その創業は西暦705年、奈良時代に遡り、藤原真人(ふじわらのまひと)によって開湯されたと伝えられています。

慶雲館は、山々に囲まれた静かな環境の中にあり、四季折々の自然と湯煙が漂う風情豊かな空間が広がっています。
その歴史は名だたる武将や文人に愛されてきたことでも知られ、戦国時代には甲斐の名将・武田信玄が隠れ湯として利用し、徳川家康も訪れたとされています。

現在の慶雲館の庭園は、近代の作庭家として名高い「7代目小川治兵衛」が手掛け、国の名勝にも指定されています。古代から現代に至るまで、時代を超えて人々に愛され続けてきた慶雲館は、日本の温泉文化の象徴として、また温泉の歴史そのものを体現する場所として、その存在感を放ち続けています。

武士や僧侶によって広まった中世の温泉文化

武士や僧侶によって広まった中世の温泉文化

鎌倉時代から安土桃山時代にかけての中世の日本では、温泉文化は武士や僧侶たちによって広く知られるようになり、熱海・箱根・伊香保などの温泉が有名になりました。

武士の間では戦場で負った傷を癒すため、また疲れた体を回復させる湯治場として温泉が利用されました。
戦国時代には、名将たちが隠れ湯と呼ばれる温泉を所有することが多く、山梨県の下部温泉や長野県の渋温泉は、戦国大名・武田信玄の隠し湯として特に有名です。

僧侶たちによる温泉の開発や復興の伝説に各地に残っています。
大分県の別府鉄輪(かんなわ)温泉は鎌倉中期の僧である一遍上人によって開湯され、病の人々を湯治したと伝えられています。
また兵庫県の有馬温泉では行基上人、仁西(にんさい)上人がそれぞれ飛鳥時代、鎌倉時代に温泉地を復興させた伝説が残り、戦国時代には豊臣秀吉が有馬温泉を気に入り、九度も通ったという逸話も残っています。

こうして武士や僧侶たちによって温泉文化が広まり、中世の温泉文化は、その後の庶民への普及や温泉地の発展の基礎となる重要な時代となりました。

庶民にも温泉文化が広まった江戸時代

庶民にも温泉文化が広まった江戸時代

江戸時代に入ると、温泉はそれまでの貴族や武士、僧侶といった階級のものだけでなく、庶民にも広がっていきました。この時代、温泉は単なる湯治の場としてだけでなく、人々が交流する娯楽や社交の場としての役割も果たすようになり、温泉地は多くの人で賑わいました。

特に有名な「箱根七湯」などの温泉巡りは庶民に人気があり、道中の旅籠や宿屋も繁盛しました。また、この時代には温泉地の人気ランキングやガイドブックが発行されるようになります。江戸中期に刊行された「温泉番附」は、多くの温泉地の効能とともに江戸からの距離などが紹介され、温泉への関心が高まりました。

また、草津温泉(群馬県)や有馬温泉(兵庫県)など東西を代表する温泉地もこの頃から広く知られるようになり、多くの人が足を運ぶようになりました。江戸時代に広まった庶民文化としての温泉利用は、現代の温泉観光の礎ともなっています。

温泉が湯治から保養目的となった近代

温泉が湯治から保養目的となった近代
近代に入ると、温泉はそれまでの「湯治」中心の利用から、「保養」や「観光」といった目的で訪れる場所へと進化していきました。この変化の背景には、科学や医学の進展、交通網の整備、経済の発展が大きく関わっています。

明治時代には、全国の温泉地を調査し、その効能や特徴をまとめた「日本鉱泉誌」が出版されました。また、西洋医学が導入される中で、ドイツから伝わった温泉療法が普及し、温泉の科学的効能が広く認識されるようになります。このような流れの中で、温泉地は湯治場から近代的な保養所へと変貌を遂げました。

さらに、鉄道が整備されると、温泉地へのアクセスが飛躍的に向上しました。箱根や熱海、別府といった名湯は多くの人々が訪れる観光地として発展しました。

第二次世界大戦中には、疎開先や傷病兵の療養施設として温泉地が活用され、戦後になると「温泉ブーム」と呼ばれる現象が起こりました。昭和60年代には、若い世代を含む幅広い層が温泉地を訪れるようになり、温泉観光が日本のレジャー文化の一部として確立しました。

こうした変遷を経て、現代では日本全国に約3000の温泉地、約2万7000の源泉があり、多くの人々がリラクゼーションや観光の目的で温泉を訪れるようになっています。近代以降の温泉文化の発展は、日本の観光産業や生活文化に欠かせない存在となりました。

温泉の歴史から学ぶ日本文化

温泉の歴史を辿ることで、日本文化の豊かさを実感できます。古代には貴族や皇族の湯治場として、中世には武士や僧侶によって広められ、江戸時代には庶民に普及、近代以降は保養や観光地として発展してきました。

温泉は時代とともに役割を変えながら、人々の生活に寄り添ってきたのです。歴史や文化を知りながら温泉を訪れることで、より深い癒しと感動を味わえるでしょう。

温泉に興味を持ったら、ぜひ、ニフティ温泉でお気に入りの温泉を探してみてくださいね。

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この記事を書いたライター
ユキヒト
ユキヒト

愛知県在住ライター。職業柄、肩こりと腰痛が目下の悩み。癒してくれる温泉とマッサージに30代になってからハマり出し、週末はよく近くのスーパー銭湯に入り浸っています。

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