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08' 9月16日火曜の午後13:30---
イーダちゃんは前日の宿の温泉津温泉駅から山陰本線を乗り継いで、生まれて初めての長州入りを敢行しておりました。旅初日の前日はやや雨がぱらついたりで湿っぽい天気だったのですが、今日はもー極上の快晴。日本海が超キレー(ToT)
そーして、温泉津からだいたい5時間ほどかけた列車の旅の末、イーダちゃんがやってきたのは、憧れの長門湯元温泉でありました。長門湯元駅は無人駅。蝉の鳴き声がかしましく響くけれど、ほかの降車客はありません。イーダちゃんは徒歩で温泉街を目指してみました。地元のひとに聞いたりして歩いていくと、15分あまり歩いたころ、憧れの長門湯本温泉によーやく御到着。
「うわ~ とうとうきたあ。そうか、これが音信川かあ」
音信川は<オトズレガワ>と読みます。このお洒落な読み方自体に長州人の地の優しさが滲み出ている、とイーダちゃんは思います。川自体はそうおっきくない。鬼怒川とかあーんなスケールのでっかい川じゃなくて、もっとずーっと小ぶりな感じ。その川がさらさらといくつもの赤い橋の下をくぐって流れていって、その、駅から数えてみっつめの橋の川岸に、僕の憧れの共同湯「恩湯」がありました。
ああ、温泉本の写真で見たまんま! グレート(^o^)/
眼福っていうんですかねえ。赤い石州瓦の屋根と、唐破風の湯小屋の造り、それとネオンサインの「長門温泉」という文字を川越しに遠く見た刹那、湧き上がる喜びになんかクラクラしてきちゃいました。
僕が着いたときは、「恩湯」のまえで道路工事やってましたネ。それをくぐりぬけて、番台のオバちゃんにお金払って、木戸をがらり。モロ銭湯のロッカーに服を脱ぎ、ガラス戸をまたがらりとやると、おお、写真通りの2つの湯舟が。
「こんにちわーっ」
4人のジモティーに挨拶して、掛け湯して、正面上部壁に埋め込まれた不動さまにも挨拶してお湯入りすれば、
くはーっ!(xOx;>
ここのお湯、大好きです。入った瞬間そう思いました。ぬるめの単純泉の透明湯なんスけど、超シルキーなんっス、こちらの湯。ただちに源泉の注ぎ口からお湯を両手に受けて味見実験。すると、透明なぬる湯の底のほうに、ほんのり硫黄の焦げたような薫りがありまする。
つるっつるっていうんじゃあない。ぬめり感はありません。でも、なんちゅーか、シルキーなんス。肌への当りが想像を絶して柔らかいっていうか。源泉温度が39度かそこらですから湯舟の温度はもっと低いワケで、そーゆー意味からして熱湯党には不満たらたらのお湯になりそうなものですが、野暮な加温なんか一切せず、掛け流しのぬる湯の本当の効能と力とを知り、自然の恵みをそのまま代々守りつづけてきた長州びとの心意気に心底脱帽しちゃいましたねー<(_ _)>
脱帽湯、なんてコトバはないけれど、そう呼びたいです、こちらの湯。
イーダちゃんはこちらの「恩湯」に取り憑かれたようになってしまって、結局こちらへの滞在中4度も入浴することになったのですが、その最初の入浴の際、源泉をずーっと独り占めして、あまつさえそこで頭を洗いはじめたお客がひとりいたんですヨ。あ。マナーわるいなあ、こいつ、注意したろうか、と一瞬迷ったのですが、あんまりコイツ至福顔をしてたので、なんとなく躊躇して結局注意せずじまいだったのですが、あとで番台のオバちゃんと話すとそれ正解でした。その方、わざわざ韓国から「恩湯」目当てに来日した外国の方だったそうなんですよー。厳しく注意したりしなくてよかったー、とオバちゃんと頷きあったりしてね。
よき湯、よき人、よき町風情・・・。
湯あがりには音信川沿いをトコトコ散歩して、国道から大寧寺まで足を伸ばしてもみました。参拝して、もういちど温泉街に戻ってきて、番台のオバちゃんに挨拶して、またまた「恩湯」で湯浴みして・・・。
「恩湯」は、ほんっと、いい。この柔らかいシルキー湯にしょっぽり肩まで浸かっていると、時間の流れが遅くなります。両手で新鮮そのもののお湯をすくって顔にぽしゃりとやると、あ~らあら、硫黄の飛び散るかすかな薫りと共に、時間の流れは更にまったりこん。こーして時間の流れはどんどん遅くなり、気がつけば1時間40分あまり時間がすぎててびっくりするという、いわゆるそれほどの名湯なのであります、長州の「恩湯」とは。
死ぬまでにナポリを見ろ、とイタリアびとはいいました。
それに習って僕もいいたい。温泉びとよ、死ぬまでにいちどは山口の長門湯元の「恩湯」に入れと。
贔屓の引き倒しみたいな文になっちゃいましたけど、「恩湯」はほんとにいいですヨ。湯上がりに見た音信川の清冽なきらきらした流れと、その上に広がっていた青空の爽やかな高さが今も忘れられません。13人が参考にしています