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2015年は長野善光寺御開帳の年。GWの終盤に御開帳に合わせて温泉に泊まることとしました。必然的に信州方面の宿となりますが、長野市から少々離れているものの以前から行ってみたかった小谷温泉山田旅館に宿を定め電話をしました。すでに4月中旬だったので部屋が空いているか心配でしたが、電話口の女性は「指定はで
きないが男3名の為の部屋は用意する」と言ってくださいました。一泊二食で12,960円とのこと。
5月4日23時30分。東京駅八重洲口にてコバやん、しのみーと合流。首都高~外環道~関越道~上信越道経由で長野を目指します。何故深夜発かというと御開帳で朝5:20からの「お数珠頂戴」を受ける為です。御開帳は7年前にも行きましたがその時も深夜に東京を出て早朝に善光寺着。その方が道路も参拝も混雑がなく効率的だったので今回も同様としました。因みに7年前は麻生内閣で「高速道路土日祝どこまで行っても1,000円」の頃です。日が変わっても関越の上り車線は車が多いのに対し、下り車線は新潟や長野ナンバーの車がビュンビュン飛ばしています。途中高坂SAと横川SAで休憩。群馬に入ったころから雨模様となり、一時は結構強い降りでしたが、長野県に入ると徐々に小雨になりいつの間にか止んでいました。長野インター直前の松代PAには2:45着。2時間弱仮眠をとりました。長野市中心部には5時すぎに到着。車を止め参道を歩きます。既に同様の参拝客がなだらかな登り坂を歩いていました。山門をくぐったのは5:10頃でお数珠頂戴には既に本堂まで行列ができていたので方針転換。回向柱を触り、5:30からのお朝事では前立本尊の厨子が開かれる瞬間を拝み、その後お戒壇めぐりをしました。山門にも登り普段とは違う高さから善光寺と参道を眺めました。まだ行列ができていたので何かと思いましたがお朝事から戻る僧侶がお数珠頂戴(?)をするための列でした。我々も列に加わり尼さんに頭を数珠で撫でてもらいました。
既に到着から2時間以上経っていましたがまだ7時過ぎ。私はセブンイレブンの長野米使用のおにぎりで、コバやんとしのみーは新装なった長野駅のナカジマ会館で立ち食いそばの朝食を摂りました。
9時過ぎに長野市街を出発。鬼無里経由で小谷を目指します。いつの間にか鬼無里村は長野市に合併していましたが峠は隘路で注意が必要です。白沢洞門を抜けると北アルプスの絶景が広がっていました。11時過ぎに南小谷駅近くの「おたり物産館」で昼食。私はさるそば680円とそばいなり2個220円を注文。得々天ぷら60
0円を3人でシェアしました。地元のおばちゃん達で作る蕎麦はつなぎが少ない短めの麺でなかなか美味でした。そばいなりはそばがクルミ汁で絡めてあるのが予想外でこちらも美味しかったです。得々天ぷらは様々な山菜の盛り合わせでやや油っこかったものの蕎麦とのマッチングは良いです。
ここまで来ると宿まで極めて近く、チェックインには早いので糸魚川のヒスイ峡に行こうと思いましたが如何せんここまで一人で夜通しの運転は堪え、宿を目指すこととしました。小谷温泉口の交差点はトンネルとトンネルの間にあり間違って通過してしまいました。長いトンネルを抜けた所で折り返し交差点を左折(本来、白馬方面
からは右折)です。しばらくは山間部に集落が散在しています。昨年11月の地震で全壊した家もそのままとなっており、道路も所々応急処置のみとなっていますが、概ね平常に戻っているように見えました。
集落を過ぎ、雪解け水の流れる川沿いを上流に向かってどんどん登っていきます。かなり高度を上げたその先に
赤い屋根の建物が見え宿だとわかりました。駐車場へは鋭角に左折し12:10頃到着。
ダメ元で部屋に入れてくれるか聞いてみましたが、さすがに早く、昼食か道の駅で時間をつぶして欲しい、1時過ぎにはなんとか、とのこと。蕎麦も食べたばかりだし道の駅は国道まで戻らなければならず、更に上にある雨飾荘の露天風呂に行くこととしました。露天でまったりとし13時過ぎに再度宿へ。本来15時チェックインで
すが部屋に通してくれました。我々の部屋は大正3年築の旧館の3階。残念ながら谷側でなく眺望は良くありませんが、3部屋続きの76、77、78号室でした。うち77号室のみ8畳テレビ付、他は6畳テレビ無です。
夕食は18:15頃、朝食は7:15頃に1階広間でとのことです。案内してくれた女性によると昨年の地震では江戸時代や大正時代の建物は壁が崩れたそうですが、却ってそれにより揺れを吸収してくれ、建物全体の損傷は最小限に留まったとのこと。 ■前編おわり。後編へ続く。15人が参考にしています