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投稿日:2011年4月18日
何を求めてここにやってくるのか・・ (片倉館)
まみのるさん [入浴日: 2008年8月10日 / 2時間以内]
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明治後期から大正、昭和初期にかけて諏訪地方では製糸業が隆盛し、この地方の、ひいては日本の経済的な要を演じました。当然ながら経済原則として近隣県の主として農村から労働力を得ていたことは『あゝ野麦峠』にも書かれている通りです。15歳くらいからの女工達の厚生施設として、片倉家二代目の兼太郎氏がヨーロッパを巡って参考にして建てたのが、この片倉館です。昭和黎明期に一地方にこのような洋館が、しかも屋敷や美術館ではなく厚生施設として存在したのは驚き以外にないでしょう。風呂は千人風呂と云われますが、確かに同時にはせいぜい百人くらいしか入れません。しかしこの表現は「たくさん、多くの」という意味の修飾語です。千畳敷が畳千枚の広さでないのと同じです。この風呂は1㍍以上の深さがあります。立ったままでしか入浴出来ません。理由は・・・・女工達が長居をしないため、だったと云われています。女工達に温泉の風呂を提供しておきながら、長風呂はさせない・・優れた経営者ですね(笑)。私は子供の頃によく親戚のおじさんに連れてこられました。今でも懐かしく思い出し、足が向かいます。横溝正史の「犬神家の一族」でも読みながら、この地に栄え、散っていった産業とそれを支えた人々のことに思いを馳せながら湯に浸かるのもよいでしょう。あ、最近、国の重要文化財に指定されたそうです。
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