设施情报
地址 | 长野县 北安曇郡小谷村中土18836 |
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电话 | 0261-85-1221 |
官方网站 | http://www.otari-onsen.com/ |
路径 |
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功效分类 | 皮肤病, 神经痛, 肌肉痛, 关节痛, 肩周炎, 运动神经麻痹, 瘀伤, 扭伤挫伤, 消化器官病, 痔疮, 怕冷, 割伤, 烫伤, 痛风, 肝脏病 |
备付品 | 餐厅, 乳液 |
服务 | 饭店 餐馆, 美容 按摩, 停车场 |
温泉的特征 | 当日往返温泉, 天然温泉, 露天浴场, 治疗浴 |
评论
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2017/01/07
大雪警報明けだったので、宿までのアプローチは過酷なワインディングロードとなっておりました。が、苦労して向かった甲斐がありました。どっさり雪を被った文化財の宿は素晴らしい趣で、とにかく本館の元湯が凄かったっす。 とはいえ、この元湯、風情のある湯殿というわけではありません。基本、昭和の趣ではありますが、微妙と言えば微妙。しかし、居心地の良さの前にあっては、そんなこと、どうでもよいことでした。 ドバドバ掛け流しで、湯船の端には寝湯スペースが設けられていて、豪快な湯滝は打たせ湯にもなります。言わずもがな、湯質は最上級。温度も湯船では41度程度と絶妙。浸かりながら『すげーすげー』と独り言を連呼してしまいました。味は金気と微炭酸味。しじみのお吸い物を薄くしたような色で、茶色で細かい湯の花の浮遊がありました。 今回、年末の繁忙期の日帰り入浴だったにも係わらず、小一時間の利用中、過半の時間で運よく貸切状態でしたが、元湯はゆったりできてナンボだと思いますし、他に宿泊客専用の外湯もあるとのこと。ここは泊まってみたい!
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2015/12/05
■前編からのつづき 宿の方によると、震度6の大地震であったにも拘わらず被害を最小限に食い止めたようですが、壁の塗り直しといっても現在のものとは材質も違うらしく、職人も限られ乾燥させるにも3か月ほどかかる要するなど苦労があり、本年5月に再開したばかりとのお話しでした。 「通常は何月再開ですか?」とてっきり冬季閉鎖のつもりでお聞きしましたが通年営業だそうです。但し山間の豪雪地帯の為、スタッドレスの四駆でもスタックすることもあり実質は土日営業に近いとのこと。再開にはそのような時期に来館する常連さんの温かい応援があったそうです。 お茶菓子は「雷鳥の里」でした。お茶を飲んで浴衣に着替え早速名物の内湯に行きます。内湯は我々の建物と帳場のある江戸時代の建物の間にあります。廊下に沿って男女の入口が並んでいて、外観同様好ましい佇まいです。先客は外来が2名いました。湯船は4~5人なら問題なく入れる大きさです。2mの高さから注がれる源泉は茶褐色で飲泉もできます。飲んでみるとやや塩味を感じました。洗い場は2カ所ありますがお湯の蛇口はありません。滝から注がれる新鮮な湯で洗髪を勧める記載がありましたが、洗い場との間には寝湯があり実際は湯船のお湯をかぶる形になります。洗い場の横に丸太のベンチのようなものがあり、こちらの解説を読むと滝の周りで固まった25年間の温泉成分とのこと。かなり濃いことが分かります。続いて露天風呂へ。内湯とは結構離れており旧館の隣の平成元年築の新館の広間の横を抜け、また古い建物の廊下の突き当たりにある階段の手前でスリッパを脱ぎ、階段を下りると男女別の露天となります。つまり内湯より一層低い場所にあります。こちらも露天だけではなく内湯がありシャワーもついております。露天は後付けなのでしょうか、内湯を出た先にありますが細くて短い橋を渡ります。眺めは絶景で雨飾山などとは反対方向ですが先ほど車で登ってきた谷が見えました。 ひと通り湯に浸かったので改めて宿の外観を眺めることに。旧館は宿の看板とともに非常にレトロ感があり雰囲気抜群です。受付のあたりから土蔵と旧館を眺めると(良く写真で見かける角度)奥行き感も出てとても良い感じです。宿の方の説明通り土蔵はまだ修復が終わっていませんが、傍らに雨飾山の湧水が流れて飲むことができました。バス停を見るとアルピコ交通に委託している村営バスが停まっていました。もう少しバックすると崖から落ちそうな凄い場所です。旧館の裏には「山田旅館資料館」があり宿泊客は無料とのことですがどうやって入るのかが分からず見ずじまいでした。 部屋に戻ると運転をしていないコバやんとしのみーが爆睡していました。私も疲れて横になりましたが布団がないので結構冷えました。夕食前に再び内湯へ行き温まってから広間で夕食。一斉配膳に近く前菜(おから・ぜんまいの胡麻和え・何かの和え物)、蕗味噌ののった豆腐、野沢菜、イワナの塩焼き、烏賊と蕗の酢の物、刺身、ぜんまいのお浸し、煮物、山菜天ぷら、吸い物、きのこと野菜を固形燃料で蒸すもの、お櫃に入ったご飯、デザートの草団子が所狭しと並んでいました。我々はビールで乾杯。何故か後から味噌汁ともう一品(忘れた)だけが後から出されましたが、量は多めです。その後はイオンタウン長野箕輪で買った日本酒(善光寺)と五一ワインで部屋飲み。フロントへコルク抜きを頼むとグラスまで貸してくれました。就寝前に再度内湯へ。早めに10時過ぎには就寝しました。 翌朝は6:30に起床。朝から快晴なので露天へ。朝食も広間で頂きます。納豆、焼き魚、浅漬け、手づくり卵焼き(キャベツ、トマト添え)、煮物、ブリ(?)のしぐれ煮(?)でした。 チェックインは10時なのでそれまでまたゴロ寝でもしようと部屋に戻りましたが、残念ながらもう布団は片づけられた後でした。〆に内湯に入り予定を早め9時過ぎにチェックアウトしました。精算時女将さんらしき人が「助けてくれてありがとう」と仰ったのが印象的で「また来ます」と言ってしまいました。 秘湯ではありますが冬季以外はバス便も8往復あり電車・バスでの利用可能です。トイレも一部ウォッシュレット付き従業員の挨拶も良くできています。今度は江戸時代の建物に泊まり自炊にチャレンジしたいと思います。
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2015/05/08
2015年は長野善光寺御開帳の年。GWの終盤に御開帳に合わせて温泉に泊まることとしました。必然的に信州方面の宿となりますが、長野市から少々離れているものの以前から行ってみたかった小谷温泉山田旅館に宿を定め電話をしました。すでに4月中旬だったので部屋が空いているか心配でしたが、電話口の女性は「指定はで きないが男3名の為の部屋は用意する」と言ってくださいました。一泊二食で12,960円とのこと。 5月4日23時30分。東京駅八重洲口にてコバやん、しのみーと合流。首都高~外環道~関越道~上信越道経由で長野を目指します。何故深夜発かというと御開帳で朝5:20からの「お数珠頂戴」を受ける為です。御開帳は7年前にも行きましたがその時も深夜に東京を出て早朝に善光寺着。その方が道路も参拝も混雑がなく効率的だったので今回も同様としました。因みに7年前は麻生内閣で「高速道路土日祝どこまで行っても1,000円」の頃です。日が変わっても関越の上り車線は車が多いのに対し、下り車線は新潟や長野ナンバーの車がビュンビュン飛ばしています。途中高坂SAと横川SAで休憩。群馬に入ったころから雨模様となり、一時は結構強い降りでしたが、長野県に入ると徐々に小雨になりいつの間にか止んでいました。長野インター直前の松代PAには2:45着。2時間弱仮眠をとりました。長野市中心部には5時すぎに到着。車を止め参道を歩きます。既に同様の参拝客がなだらかな登り坂を歩いていました。山門をくぐったのは5:10頃でお数珠頂戴には既に本堂まで行列ができていたので方針転換。回向柱を触り、5:30からのお朝事では前立本尊の厨子が開かれる瞬間を拝み、その後お戒壇めぐりをしました。山門にも登り普段とは違う高さから善光寺と参道を眺めました。まだ行列ができていたので何かと思いましたがお朝事から戻る僧侶がお数珠頂戴(?)をするための列でした。我々も列に加わり尼さんに頭を数珠で撫でてもらいました。 既に到着から2時間以上経っていましたがまだ7時過ぎ。私はセブンイレブンの長野米使用のおにぎりで、コバやんとしのみーは新装なった長野駅のナカジマ会館で立ち食いそばの朝食を摂りました。 9時過ぎに長野市街を出発。鬼無里経由で小谷を目指します。いつの間にか鬼無里村は長野市に合併していましたが峠は隘路で注意が必要です。白沢洞門を抜けると北アルプスの絶景が広がっていました。11時過ぎに南小谷駅近くの「おたり物産館」で昼食。私はさるそば680円とそばいなり2個220円を注文。得々天ぷら60 0円を3人でシェアしました。地元のおばちゃん達で作る蕎麦はつなぎが少ない短めの麺でなかなか美味でした。そばいなりはそばがクルミ汁で絡めてあるのが予想外でこちらも美味しかったです。得々天ぷらは様々な山菜の盛り合わせでやや油っこかったものの蕎麦とのマッチングは良いです。 ここまで来ると宿まで極めて近く、チェックインには早いので糸魚川のヒスイ峡に行こうと思いましたが如何せんここまで一人で夜通しの運転は堪え、宿を目指すこととしました。小谷温泉口の交差点はトンネルとトンネルの間にあり間違って通過してしまいました。長いトンネルを抜けた所で折り返し交差点を左折(本来、白馬方面 からは右折)です。しばらくは山間部に集落が散在しています。昨年11月の地震で全壊した家もそのままとなっており、道路も所々応急処置のみとなっていますが、概ね平常に戻っているように見えました。 集落を過ぎ、雪解け水の流れる川沿いを上流に向かってどんどん登っていきます。かなり高度を上げたその先に 赤い屋根の建物が見え宿だとわかりました。駐車場へは鋭角に左折し12:10頃到着。 ダメ元で部屋に入れてくれるか聞いてみましたが、さすがに早く、昼食か道の駅で時間をつぶして欲しい、1時過ぎにはなんとか、とのこと。蕎麦も食べたばかりだし道の駅は国道まで戻らなければならず、更に上にある雨飾荘の露天風呂に行くこととしました。露天でまったりとし13時過ぎに再度宿へ。本来15時チェックインで すが部屋に通してくれました。我々の部屋は大正3年築の旧館の3階。残念ながら谷側でなく眺望は良くありませんが、3部屋続きの76、77、78号室でした。うち77号室のみ8畳テレビ付、他は6畳テレビ無です。 夕食は18:15頃、朝食は7:15頃に1階広間でとのことです。案内してくれた女性によると昨年の地震では江戸時代や大正時代の建物は壁が崩れたそうですが、却ってそれにより揺れを吸収してくれ、建物全体の損傷は最小限に留まったとのこと。 ■前編おわり。後編へ続く。