僕は一応、一つ星レストランのシェフ、という事になっていて、食にまつわる仕事をたくさんしています。代々木上原の「sio」をはじめ、「パーラー大箸」「ザ・ニューワールド」「Hotel’s」といった様々な業態のレストランを展開したり、NHK「きょうの料理」やYouTubeへの出演。メニュー開発や書籍の出版。最近ではガストとコラボした「感動ハンバーグ」のCMで僕の事をどこかで見た人もいるかもしれません。
そんな「食」の人間である僕が、なんでサウナの話を?と思ったのですが、ひとつ思い出話をさせてください。仕事で石垣島に行った時のことです。
現地の方がおもてなしをしてくれる、という事で遊びに行ったのですが、その方は自宅の屋上にテントサウナを設置していて、プールに大量の氷を入れた水風呂まで用意したと言います。
サウナと言えば「出張先のホテルにあれば入ることもあるけど、息苦しいし、あんまり良さがわからない……」と思っていた僕ですが、そこまで用意して頂いた以上入らないわけにもいきません。仕方なくアツアツに熱されたテントサウナに入り、限界まで蒸されたら今度は氷入りの、キンキンに冷えた水風呂です。食材になった気分です。
そこから出て、石垣島の海風に吹かれながらベンチに座っていると空には満点の星空。体全体が石垣島に包まれたような気持ちになりました。「ああ、サウナって、つまりこのことかあ」と思った事を覚えています。初めて「ととのった」瞬間なのかもしれません。
そして水風呂からあがったら、「食べてください」とお鍋を勧められたのですが、正直に言えば「え?石垣島でお鍋?」と思いました。でも、そのお鍋は味噌仕立てで味が濃いめ、地元の食材をふんだんに使ったもので最高に美味いんですよ。水風呂と海風で冷えた身体に、熱いお鍋が染みて染みて、あまりにも美味しくて意識を失うかと思いました。
なるほど!五感全てで味わうのがサウナなのか!
「サウナ、ヤバいな!」そう気づいてからはすっかりサウナにハマりました。僕は良い食材を探すために地方に行くことも多いのですが、行った先ではなるべくその地元のサウナに行くようにします。水風呂に入ることでその土地の水を感じ、外気浴でその土地の風を感じるわけです。
そしてそのあとに地元の食材を使った、美味しいものを食べたりすると、本当にその土地にどっぷり浸かったような気持ちになって全部満たされるんですね。その頃は「サ飯」という言葉を知らなかったのですが、そんな経験を経て「サウナ」と「食」って、実は共通するものがたくさんあるぞ、思うに至りました。つまり、食におけるサウナ理論です。
例えばこちらは奈良にある「すするか、すすらんか。」というお店で提供されている、近畿大学の学生を中心に開発された麻婆豆腐ラーメンなのですが、左に冷水に漬けたピーマンがあります。
この冷やしピーマンをラーメンとセットにして提供する事は僕がアドバイスさせて頂いたのですが、このばっちり辛い麻婆豆腐ラーメンを食べるあいまに、冷えたピーマンを食べるとホロ苦さと冷たさによって辛みが中和され、その後にラーメンを食べるとまた辛さが引き立ちます。熱い→冷たいを繰り返すさまは、まさにサウナと水風呂です。
つまり、「食」も「サウナ」も抑揚であり文脈なのです。例えば僕がコースメニューを提供する時は、全体の物語を考えます。前菜からデザートまで、ただ単に美味しいものを並べただけではコース料理とは呼べません。「メインディッシュに大きな山を持ってきたいから、サラダはシンプルなテイストにしよう」とか、「コース全体に統一したテーマを持たせて、物語として提供しよう」とか、少なくとも僕はこの抑揚と文脈、物語を大切にして料理を作ります。
例えばコーヒーを出す時にスコーンを一緒に出します。スコーンを食べる事で口の中の水分が奪われます。そして水分が失われた口の中に、熱いコーヒーが入って来る。この瞬間が至福なのです。
そしてこちらは「パーラー大箸」で提供している「ととのうプリン」です。我々が作るプリンはカラメルがしっかり苦いです。でも、苦いからこそプリンの甘さが引き立ちます。そして見た目からもわかる通り、かなり固めのプリンですが、口の中に入れると本当になめらかな舌触りで、口中に甘さが広がります。これも文脈であり抑揚で、サウナと水風呂の関係性に似ているなと思っています。
「五感で味わう」という部分も食の仕事をする上で大事にしているテーマです。「食」において味はもちろん、見た目、香り、触感、そして場内に流れる音楽にもこだわってレストランを運営しております。
恐らくはサウナにおいても同様で、サウナ室や外気浴スペースから見える景色、ロウリュの香り、熱や水が肌に当たる感覚、そして音楽やロウリュの音、川のせせらぎや鳥の鳴き声など、「良いサウナ」とされる施設はそういった部分にも気を配られています。
唯一サウナに足りないとすれば「味覚」ですが、だからこそ「サ飯」という概念が生まれたのかもしれません。サウナ後に「サ飯」を食べることによって、五感全てで楽しむサウナの物語が完成するのです。
こんな事を書いている内に、「人生って、ひょっとしてサウナなんじゃないか」とも思えてきました。「何を言ってるんだ」「鳥羽が狂った」と思う方もいらっしゃるかもしれません。僕はシェフとしては遅咲きなのですが、何故かと言うと僕はずっとプロサッカー選手になりたかったんです。
小学5年生の時に静岡で大会があり、たまたま来ていたキングカズこと三浦選手と一緒にお弁当を食べさせていただいたんですが、その時に「いつか一緒にカズさんとプレーしたいです」と伝えたら「待ってるよ」と一言言って頂き、それ以来ずっとその夢を見てサッカーを続けました。
その後教員になり、子ども達にサッカーを教えたりしながらも社会人としてサッカーを続けていたのですが、25歳の時、同い年のプロサッカー選手の技術に打ちひしがれ、プロになることを断念するのです。そして「やっぱり、僕も何かを極めて世界と戦いたい」と思い、元々興味があった料理の道に入る事を決意したのは31歳の頃です。
もちろん料理の世界も簡単なものではありません。下積みが続いて苦労の連続でしたし、いかんせん31歳からはじめたので自分より若いのに技術もあるシェフはたくさんいました。僕がそういう人達に追い付き、追い越すには人の3倍働かなければいけません。レストランに寝袋を持ち込んで何日も寝泊りしたこともあります。
でもそういった努力が実り、やりたかった仕込みを任せて貰えた。自分の料理をお客さんが褒めてくれた。料理人になってからの出来事は99%が辛い事でしたが、でもそのぶん、残り1%の喜びを得た時の快感がものすごいんです。
努力や我慢が無ければ、成功したってあんまり嬉しくないんですよ。頑張ったからこそ嬉しいし、我慢したからこそ気持ちいい。受験勉強だって死に物狂いで勉強して受かった方が気持ちいいし、富士山だってヘリコプターで山頂に行くより自分で登った方が気持ちいいんです。仕事もそうだし、恋愛もそう。つまり、人生ってサウナなんです。
たいぶ「食とサウナ」からは脱線してしまいましたが、シェフとしてサウナからは大きな気付き・インスピレーションを頂いています。特に石垣島の感動体験は強烈だったので、僕もいつかサウナに入るところも含め、物語として仕立てたコースを作ってみたいな、と思っています。
僕は今、富山にすごくハマっているので、富山で何か出来ないかな、と思っていたりします。立山連峰の雄大な自然を見ながらサウナに入り、立山の天然水に浸かり、富山湾の海風を浴びてすっかりととのったら地元で獲れた海の幸、山の幸を頂く。もちろん富山以外にもそういった体験を作る事ができる土地は日本にたくさんあるでしょう。
僕は「幸せの分母を増やす」をテーマに食の仕事を続けてきましたが、そこにサウナを取り入れれば物語をさらに拡張できるぞ、と今からワクワクしています。もしご一緒出来るような施設の方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡ください。サウナと食で、幸せの分母を増やしていきましょう。
※この記事は個人の感想であり、効果・効能を示すものではありません
写真提供:鳥羽周作
取材・文:豊田佳高
編集:ニフティ温泉編集部